天守、三階櫓の史料

前田利家が建造した天守

金沢城の天守は前田利家により建造されました。 天正11年(1583)に利家が金沢城主となり、天正14 年(1586)から15 年(1587)に天守が造営されたと考えられています。天正14年(1586)6月の利家朱印状には天守造営のため鉄輸送を命じたことが記されますが、天守の形状を示す図面等は確認されておらず正確な位置も判明していません。

利家没後、2代利長の時代の慶長7 年(1602)10月30日に天守は落雷により焼失しました。当時福井城主であった結城秀康は、江戸にいる弟の徳川秀忠に金沢城の焼失を伝える書状を送っています。

三階櫓の建設

天守落雷の翌年、これに代わり三階櫓が建造されました。三階櫓は立面図が残り、外観は3重で最上階に高欄が巡らされ、1階の腰壁には海鼠壁が配された建物であったことがわかります。規模は1重部分が5間(約9m)四方とあり、2重が3間四方、3重が2間四方と書かれています。 寛永8年(1631)の火災で焼失し、ほどなく再建されましたが 宝暦9年(1759年)の大火で再び焼失、以後、再建されることはありませんでした。

百万石の大藩でありながら天守を再建しなかったのは、外様大名として江戸幕府への配慮があったものと考えられています。    

「金沢城三階御櫓之図」(金沢市立玉川図書館蔵)