金沢城の復元整備

橋爪門

二の丸の正門として城内で最も格式の高い「橋爪門」
明治期の焼失以来134年ぶりに往時の姿で復元

橋爪門の特徴と復元整備の概要

橋爪門は寛永8年(1631)の大火後に整備され、石川門、河北門と合わせて三御門と呼ばれます。
二の丸御殿に至る最後の門であることから城内で最も格式の高い門で、通行に際し三御門の中で最も厳しい制限がかけられました。高麗門形式の一の門、石垣と二重塀で囲われた枡形、櫓門形式の二の門からなる枡形門で、枡形の面積は城内最大の規模を誇ります。二の門には番所が設けられ、床は御殿の玄関前と同じように戸室石が敷かれます。
 
文化5年(1808)の二の丸火災で焼失した後、文化6年(1809)に再建され明治期まで存在しましたが、明治14年(1881)に陸軍の失火により二の丸御殿や五十間長屋とともに焼失しました。

 

平成13年(2001)に一の門、平成27年(2015)に二の門と枡形二重塀が復元され枡形門の全体が復元されました。復元にあたり、二の門と橋爪門続櫓の内部をつなぐ出入口が設けられ、橋爪門続櫓側から入って内部を観覧することができます。
 

橋爪門関係年表

年号 西暦 出来事
天正11年 1583 前田利家、金沢城主となる
寛永8年 1631 寛永の大火、こののち二の丸に御殿を造営、橋爪門創建
宝暦9年 1759 宝暦の大火により三御門を含む金沢城の建物の大半が焼失
宝暦12年 1762 橋爪門再建
天明8年 1788 橋爪門続櫓再建
文化5年 1808 文化の二の丸火災により二の丸御殿、橋爪門、同続櫓、五十間長屋、菱櫓等が焼失
文化6年 1809 橋爪門再建
文化7年 1810 二の丸御殿、菱櫓、五十間長屋を再建
明治14年 1881 陸軍の失火により二の丸御殿、橋爪門、五十間長屋等が焼失
平成13年 2001 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓とともに橋爪門一の門を復元
平成27年 2015 橋爪門二の門、枡形二重塀を復元

金沢城三御門

城内の各曲輪(くるわ)をつなぐ城門のうち、特に重要であった石川門、河北門、橋爪門を金沢城三御門と呼んでいます。
石川門は宝暦9年(1759)の大火後、天明8年(1788)に再建されたものが現存し、国の重要文化財に指定されています。河北門、橋爪門の復元により三御門全てが整い、三の丸一帯の江戸後期の景観がよみがえりました。

三御門の比較

枡形の面積 二の門の二階の面積
河北門…255㎡ 河北門二の門…220㎡(26.9m×8.2m)
石川門…272㎡ 石川門二の門…181㎡(24.9m×7.3m)
橋爪門…445㎡ 橋爪門二の門…113㎡(14.4m×7.9m)

建造物概要

規模・構造・仕上げ

区分 規模・構造・仕上げ
二の門 規模
建築面積 149.33㎡ 延べ床面積 136.18㎡

構造
櫓門 南妻:入母屋造 北妻:橋爪門続櫓へ接続

仕上げ
櫓部外壁漆喰塗 鉛瓦葺(本瓦葺型鉛板葺)
枡形二重堀 規模
矩折延長 39.44m

構造
切妻造二重塀
東側土塀北端部を鶴の丸土塀出狭間へ接続

仕上げ
外壁漆喰壁塗り
外部側腰壁海鼠壁仕上げ
鉛瓦葺(本瓦葺型鉛板葺)
出し 規模
桁行2間、梁間2間
建築面積 10.42㎡

構造
切妻造 正面軒唐破風付

仕上げ
鉛瓦葺(本瓦葺型鉛板葺)
一の門 規模
建築面積 27.7㎡

構造
高麗門

仕上げ
鉛瓦葺
一の門脇土塀 規模
延長15.06m

構造
太鼓塀

仕上げ
外壁漆喰塗
海鼠壁仕上げ
鉛瓦葺

埋蔵文化財調査の概要

発掘調査では二の門北脇柱列の根固め、石組暗渠等の遺構を確認し、続槽台石垣の調査では二の門添え柱の中心位置を示す「ノミ切り」、敷石痕跡等を確認しました。これにより文化6年(1809)に再建された二の門の柱間寸法や敷石面の標高等がわかり、復元設計に反映されました。

発掘調査中の橋爪門(2012)

続櫓台裾で確認された、「根固め」、「石組暗渠」等

左:添柱の中心を示す「ノミ切り」、 右:敷石痕跡

絵図・文献資料等の概要

金沢城の絵図は数多く残され、復元整備において重要な資料となります。
橋爪門の復元においても江戸後期の様子を詳細に描いた平面図、立面図が複数あり、設計にあたっての重要な根拠資料となりました。文献では、文化再建期の造営奉行高畠厚定の記した「御造営方日並記」等の記述を復元の根拠としています。  

左:橋爪御門等御絵図-3. 橋爪二之御門図 (金沢市立玉川図書館蔵)右:御城中壱分碁絵図 (横山隆昭家蔵)