重要文化財建造物、明治期の建造物

三十間長屋

金沢城では倉庫と防壁を兼ねた建物を長屋と呼び、建物の長さをとり三十間長屋・五十間長屋などと名付けられました。他の城郭においては多聞櫓と呼ばれる建物です。   本丸附段の三十間長屋は、江戸時代初期の寛永期(1624-1638)には既に創建されており、当時は北端に櫓が置かれていました。 その後、宝暦9年(1759)の大火で焼失し長らく土台の石垣だけが残る状態となっていましたが、幕末の安政5年(1858)に長屋部分が再建され現在まで残ります。
 
    現存する建物は幅3間(約5.3m)、長さ26.5間(約48.2m)、石垣上の高さ約8.9mで、漆喰壁の腰には海鼠瓦が貼り付けられています。入口が設けられている東面は建物の裏側で、唐破風や千鳥破風の出しが設けられた西面が本来の表側であり、城下に睨みを利かせていました。

現存する三十間長屋の西面の立面、一階階平面図

二階の内観

屋根は南側が入母屋造、北側が切妻造となっていますが、これは北端の続櫓を再建する時に接続しやすいようにしたためと考えられています。安政の再建当初は板葺きのままでしたが後に瓦葺に変えられ、現在の鉛瓦葺きになったのは昭和44年(1969)の保存修理工事によります。  

三十間長屋西面の石垣

土台石垣は石の接合面を直線的に加工し隙間なく積む「切石積み」で積まれ、石表面の縁取りだけをきれいにそろえて内側に瘤を残す「金場取り残し積み(かねばとりのこしづみ)」の技法が用いられた意匠性の高いものです。

重要文化財指定年月日 昭和32年6月18日
創建 江戸時代初期
再建 安政5年(1759)
保存修理 昭和44年(1969)、令和5年(2023)