金沢城の復元整備
玉泉院丸庭園、玉泉庵
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三代前田利常による作庭から廃藩まで、
歴代藩主が愛でた庭園を再現
庭園の特徴と整備の概要
玉泉院丸庭園整備全体図
庭園内の見どころ
色紙短冊積石垣
石垣の上部に滝を組み込んだ特別な石垣です。
滝口には黒色の坪野石でV字形の石樋をしつらえ、色紙形(正方形)の石材や短冊形(縦長方形)の戸室石を段違いに配しています。城郭石垣の技術と庭園としての意匠とが見事に融合した金沢城ならではの傑作とされています。
色紙短冊積み石垣 発掘調査時
段落ちの滝
発掘調査により、斜面を4段で流れ落ちる滝の遺構が確認されました。遺構保存のための盛土を行い、その上に発掘調査で確認された石組みを参考に、新たに石組を整備し滝を再現しています。
発掘された滝遺構 / 再現された滝
植栽・景石
古絵図を参考に、石川県内で仕立てられた松を主とした植栽にしています。また、絵図の描写や発掘調査の検出状況に基づき、各所に県内産の景石を配置しています。
段落ちの滝より望む
石垣群
庭園に面した石垣は江戸時代の姿を残し、形状や色彩など外観の意匠に趣向をこらした「見せる石垣」として、庭園を特徴づける重要な要素となっています。
石垣群(いもり坂周辺)
池泉
庭園の基本となる地形は、発掘調査や古絵図等をもとに、紅葉橋から南側の半島や池、島などの地割りを再現しました。
中島は大小3つが置かれ、見る場所により遠近感や親水性が変化ます。池の水源は江戸期には二の丸まで引かれる辰巳用水を利用していましたが、整備にあたってはいもり堀辰巳用水から揚水しています。護岸の石材や、橋(木橋、石橋、土橋)の材料は、石川県産の材料を使用しています。
休憩所「玉泉庵」より望む
整備概要
| 面積 | 約1ha(庭園主要部0.7ha) |
|---|---|
| 池設備 | 中島3箇所、池底、玉砂利敷(水面面積約1400m2、平均水深0.6m) |
| 滝設備 | 4段の段落ちの滝を発掘調査に基づき再現(高低差約7m) |
| 水源 | いもり堀から池内に揚水(最大1t/分) |
| 護岸 | 石組護岸(戸室石、能登産安山岩)、木杭護岸、石積護岸、州浜 |
| 木橋 | 橋長9.3m、幅員2.4m(能登ひば材) |
| 石橋 | 橋長5.0m、幅員1.15m 平橋・反橋(戸室石) |
| 土橋 | 橋長5.0m、5.5m、幅員1.2m(構造・杉材、土系舗装) |
| 景石 | 福浦石、戸室石など19石を絵図に基づき配置 |
| 植栽 | 赤松、黒松(県内産)29本、しだれ桜、モミジなど |
| 唐傘 | 高さ2.4m、傘径2.7m(構造・木造、屋根・柿葺き) |
| 舟小屋 | 高さ2.5m(構造・能登ひば材、屋根、杉皮葺き) |
玉泉院丸関係年表
| 天正11年(1583) | 前田利家が金沢城に入城 |
|---|---|
| 天正〜慶長頃 | 一帯は西の丸と呼ばれ、重臣の屋敷が置かれた |
| 慶長19年(1614) | 二代目藩主利長正室の玉泉院の屋敷造営 |
| 元和9年(1623) | 玉泉院逝去し、屋敷を撤去(この後玉泉院丸と呼称) |
| 寛永9年(1632) | 辰巳用水を開削し城内に引水 |
| 寛永11年(1634) | 三代藩主利常が京都の庭師剣左衛門を招き作庭 |
| 延宝4年(1676) | 五代藩主綱紀が蓮池御殿を造り周辺に作庭(兼六園の始期) |
| 元禄元年(1688) | 綱紀が千宗室に作庭を申し付ける 厩を壊し、亭や露地、花壇を作る |
| 元禄5年(1692) | この頃、氷室を設置 |
| 天保3年(1832) | 十三代藩主斉泰が「カラカサ」亭の設置を命ずる |
| 安政3年(1856) | 玉泉院丸に滝が造られる |
| 安政5年(1858) | 三十間長屋完成 |
| 明治4年(1871) | 金沢城が兵部省(後に陸軍省)の管轄になる オランダ人医師スロイスの邸宅が置かれる |
| 明治13年(1880) | 兼六園の明治紀念之標の土台石組に庭石を転用 |
| 明治17年(1884) | 鼠多門焼失 |
| 大正15年(1926) | この頃、池跡を埋め立て露天馬場を設置か |
| 昭和30年(1955) | 県スポーツセンター(県体育館の前身)竣工 |
| 昭和40年(1965) | 県体育館竣工 |
| 平成20年(2008) | 県体育館を取壊し、発掘調査に着手 |
| 平成21年(2009) | 県が金沢城玉泉院丸跡調査検討委員会を設置 |
| 平成27年(2015) | 玉泉院丸庭園及び休憩所「玉泉庵」等完成 |